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最近では耳にすることの多い「フリーランス」というワード。2020年の新型コロナウイルスの流行によって、リモートワーク・在宅ワークが急速に普及しました。フリーアドレスでオフィスでは仕事ができる環境も多く取り入れている企業が増え、仕事への考え方や取り組み方の手段や方法の幅が広くなっている現代社会において、会社に属さずに仕事をしたいと思っている人も多いと思います。そこで会社に属して働いていた自分がフリーランスとして仕事をスタートした際の効果的手段や未経験でもフリーランスとして仕事をしていける考え方をこの記事で伝えていきます。
これからフリーランスとして仕事をしていこうと考えている人へ向けて少しでも、背中を押すきっかけになる記事になっています。
andkouとしてフリーランスで仕事を始めたきっかけ
自分がフリーランスとして仕事をしていくきっかけには父親の癌との闘病生活が大きく関わってきます。自分で仕事をするきっかけもお話ししていきます。少しでも人生観を知ってもらった上で「andkou project」を理解してもらえると幸いです。
andkouの20代から30代の経験談
自分が28歳の時(2011年)に父親の癌が発覚。余命3ヶ月ということで、会社員だった私は急遽退職して父親の経営している飲食店を代わりに営業。未経験からいきなり料理を提供する側に回るという予想もしていない出来事が起きました。飲食店の経営スタイルでは、いわゆる「待ち商売」である店舗型で持ち帰り専門店の飲食店を経営していました。自分が店の代理店主としてじーっと店舗内で注文があるまで待機。注文自体は1日3000円程度でした。父親の自営業の収益が非常に低いことを痛感。子供には見せない苦労を感じ、元々営業職であった私は、経営改革に踏み切ることを決意。この時点ではフリーランスデザイナーとして仕事をしたいという考えはまだ無い状態でした。
行動すれば道は開ける
経営改革を考えた際に、店舗での商売は非効率的であることは間違いなく痛感しました。都会のように人口も多くなく提供している料理に対して需要も少ない為、店舗型からさまざまな場所にお惣菜として置く「デリバリー型」へ変更。「デリバリー型」と言っても、個人に対してではなくスーパーやディスカウントストア、道の駅へ配達して惣菜コーナーへ置いてもらう販売手法をとりました。自らの足で置いていただける店舗を調査、下調べを行ないプレゼンしたり商品説明を店舗責任者様へ行なったり実際に行動してみました。少しの勇気があれば行動は誰でも出来ます。その結果、置いていただける場所が10箇所に増えて、予想もしないほどの売り上げに繋がりました。結果的に4人の生活を賄えるほどの収入になり「行動すれば道は開ける」ことを経験できたのも今となってはフリーランスで生きていく為の大切な手段の一つだと感じています。
父親の5年間の闘病生活で感じた「生きる」意味
当初は3ヶ月の余命宣告を受けていた父親もさまざまな手術や治療を行ない、結果的に5年間生きました。小細胞肺癌という手術のできない癌であることで、抗がん剤での治療。加えて心臓も悪かった為、がん細胞が活発では無いタイミングを見計らって心臓の弁の手術も行ないました。癌になった当時父親は「生きる意味もない」「希望もない」「趣味のものを全部捨ててくれ」と唐突に言われたのを鮮明に覚えています。
闘病生活の中、抗がん剤治療を受けて約半年で一時退院出来ました。抗がん剤が効いたみたいで一時的に癌の動きを抑え込んだような感じでした。入院中は病院の雰囲気も暗く、患者さん4人の相部屋で、次々に隣の患者さんが亡くなっていく部屋だったのです。そこで毎日顔を見に行っていた私が父親に一つ質問をしました。「生きがいって何?」父親は「生きがいなんて無い」と答えたのです。父親は病院の8階に入院していたので、いつも会いにいく際に自分は窓から外の景色を見ていました。さまざまな人が何か目的のために行動している。車が走っていたり、自転車に乗ってる人がいたり、何目的があって日々生活しているんだと思いました。父親と接したり、病院内の患者さんとコミュニケーションをとる際に、いろんな人生があって、「生きる」意味を毎日考えていました。
父親の闘病生活をきっかけに場所や時間に縛られない仕事をしたいと思うようになった
闘病生活の中で、私自身PCを持っていませんでした。全くPCを使う仕事を考えたこともなかったので、持っていなかったのです。場所や時間に縛られない比較的自由な仕事が無いか考えたところ、プログラマーやWebデザイナーの職業に着目するようになりました。まずはPCを購入。そして経験もないのでハローワークに足を運び職業訓練へ通うことに。
職業訓練ではPHP・HTML/CSSを学ぶ
さまざまな覚悟を決めて職業訓練へ入校した生徒さん達。年齢も様々で自分はちょうど真ん中の世代でした。生徒さんの中には50代もいました。学校まで60キロもある遠方から毎日来校する生徒さんもいました。みんなの覚悟を肌で感じることが出来たのでいい刺激になりました。卒業制作というものがあり、最終的にECサイトとデータベースを作ってショッピングサイトを制作しました。この時点で明確にフリーランスデザイナーという選択肢は見出せていませんでした。とにかく卒業後に経験が必要だと感じ就活を行なうことにしました。
30代未経験は就職が難しい
実際に営業職で元々仕事をしていたので、制作会社で面接を受けると「30代からプログラマーやコーダーになるよりも今までの経験を活かした方がいいよ」「営業だったら即採用するよ」などと採用面接時に言われることがほとんどでした。面接時に企業の採用担当者が言った言葉で今でも忘れられない言葉があります。それは「30代で未経験からコーダーになるのと高校でコーディングを学んでいた18歳が就職するのとでは企業側はどちらを採用すると思う?」と言われたことがあります。
自分も企業側だったら後者を選ぶでしょう。心が折れそうになった瞬間だったので今でも覚えています。
男女での差が明確にわかるのは「デザイナー」募集での30代男性のデザイナー志望はとても厳しいものがあります。女性なら採用すると言われたこともあります。デザイナーは収入が低いから男性には任せられない。企業側からの不採用にした理由として、仮に採用したとしてもグラフィックデザイナーやコーダーだと生活面での収入の低さは現実問題出てくるのでこれから家庭を築く際に生活ができるのかという部分で責任を感じているようです。そんな理由で不採用の通知を受けたこともあります。
職業訓練後に希望の職種に就職できない自体に
当時はポートフォリオの重要性もあまり意識していなかったのと、営業職のような職種へ応募するやり方で制作会社への採用応募をしていました。この時点で就職できない状態に自ら進んでいたのだと今となっては思います。結果的に希望の職種には就職できないまま、収入面で心配になりとりあえず派遣に登録。とにかくPCを使った仕事に就くことだけを意識して仕事を探すことにシフトチェンジを行ないました。
派遣社員として実力を評価され契約社員へ
東京の企業で働き、当初は派遣社員で仕事をしていましたが契約社員へ昇格。クリエイティブな事業も後に展開されることとなります。職種はPCを使った校閲、原稿の審査業務に従事。ExcelやWord、PowerPointを使ったいわゆる事務系の仕事でした。年休日125日以上あり、副業もOK。残業もなく私生活での時間も充実していました。
クリエイティブな仕事をしたいという諦めきれない目標
仕事をしながらやはり、場所や時間にとらわれない仕事をしたいという目標がありました。仕事以外の時間はどうやって自分の目標に近づくことができるのか?を常に考えていました。2年の月日が流れてその中で、地元の転職サービスに登録。担当してくれたスタッフさんからの提案で、職業訓練の選択を提案されることに。
1回経験したWeb系の職業訓練、2回目は大丈夫なのかよくわかりませんでしたが、ハローワークで話を聞くと職業訓練を修了して2年空いてたら再度職業訓練自体は受講できるということが判明。ただし一回受けているので合格は低いとのことでした。
不合格覚悟でもう一度職業訓練を受けることに
結果は合格。ここが人生のターニングポイントです。今回の職業訓練ではWordPressでオリジナルテーマを運用するためのhtml/cssを学ぶことと、カメラ撮影技術、IllustratorをPhotoshopの授業、実際にクライアント様への提案方法(プレゼンの練習)を学ぶことが出来たのです。
学校が終わっても毎日夜中の2時まで学習を行った日々
ファミレスやスタバでPCを持ってデザインの勉強を毎日行いました。職業訓練が終わった後に、夜は週4回の別のセミナーを受講。その後自主学習。夜中の2時まで行ないました。人生で最も内容の濃い半年間でした。
仕事との向き合い方を考えた
前回、不採用が続き希望の職種に就職できなかった自分も、考え方が変わり「より良く仕事を受注できる」ような生活を送る為にどうすれば良いかにフォーカスして職業訓練修了後行動。結果的にフリーランスとして2020年1月より始動することになります。
未経験からフリーランスデザイナーへ
当初は右も左もわからない状態で始めました。とにかく実績を作らないといけない状態でした。まず自分が行なったことが格安で実績を積み上げていくことと、身近な人に自分の仕事を知ってもらうこと。この2点を重点的に攻めました。
まずは実績獲得のハードルを低くするための手段を考えることが大切
私の場合は、実績を作る際にまずは身近な人の名刺やウェブサイトを作らせていただくことから始めました。未経験からフリーランスデザイナーへ開業した年の一発目の仕事はチラシ作成。依頼をどうやってもらったかというと、フリーランスで仕事をし始めたことを周りの知人に世間話の中で話したことがきっかけで依頼を受注することができました。例えば、マッサージに行く際や美容室に行って会話する中に、普通に自分のことを相手が聞いてもいないのにサラッと話すという手段。その結果、知人の記憶に自分がデザイナーしてることを認知しているので、ふと思い出してくれて、紹介していただけたりすることは結構あります。チラシを依頼してくれたクライアント様には、もちろん初めての仕事の依頼っていうのは相手には伝えていないです。落ち着いてヒアリングしてデザイン案を提案することも最初は慣れないものです。とりあえず一つ実績を作ることが最初は目標でいいと思います。「実績獲得のハードルを低くしてみること」が大切です。
ちゃんと発信する力が必要
一つでも実績ができたら、自分のウェブサイトを作って記事にすること。そしてsnsを活用して自分を発信することです。最近依頼してくれるクライアント様はsnsのフォロワー数を聞いてくるクライアント様が多いように見受けられます。発信していくことは大切です。ポートフォリオも毎回作ったら勝手にsnsで発信すること。フォロワーを増やして相手から信頼を勝ち取ることも重要です。
実績がないうちは無料で作る手段もあり
結果的に実績になればいいんです。最初は特に。後々その実績や依頼を受けたことでプラスになります。最初からお金をきっちり設定して請け負うよりも逆に効率が良かったりします。クラウドワークスやランサーズ、ココナラといったサービスも利用して、コンペに参加することは大切です。コンペで採用されなくてもデザインの勉強になりますし、当選した方の制作物を見ることが出来て自分に何が足りないのかが客観的にわかります。ウェブサイトの制作実績って未経験からなかなか頂けないんですが、自分は無料で作りますという方法をとって、その代わり管理費用を毎月5000円いただきますと話して交渉して、何か工数がかかる修正等あれば、別途費用発生します。と知り合いから紹介を受けて制作しました。かれこれ5年続いているのでタダで作ったのですが、制作費以上の金額を現時点でいただいてます。
何を強みにするのかを考えてブランディングする
自分は幅広く請け負うことを選びました。何か一つ特化してることがあるといいと思います。例えばLINEリッチメニューに特化したり、チラシ制作でも不動産や建築系のチラシを作るのが得意だったりと、何か強みを身につけていくと、その分野から切り開いていけるのでアドバンテージになります。
自分は遠回りをした分、人に効率的なアドバイスが出来る
色々試した結果今の自分があります。まだまだ先は長いですが、今何も経験もない状態でフリーランスとして活動していこうと考えている人。特にフリーランスデザイナーという職種で仕事をしていきたいと考えている人に向けて、少しでも効率的な道筋で未経験でもフリーランスデザイナーになれる手段をアドバイスしていったり、フリーランスデザイナーのリアルを伝えていけたら良いと考えて「andkou project」を発足しました。
職業訓練にも行かなくても大丈夫です。自分で切り開いていける手段はあります。勉強方法も様々な方法があるので自分が効率的だと感じた方法はお伝えしていけたら良いなぁと考えています。
今回伝えたかったことは「行動力」。営業なんて最初はしなくても知り合いの名刺をつくるとか、実績を作るとこから始めてみてください。作ったものを実績にして情報発信すること。ポートフォリオを作った際も同じです。人柄で売り上げが伸びることもあるので人とのコミュニケーションを大切にしましょう。行動しないのを0だとすると行動すれば1になります。年齢を重ねても大丈夫です。まずは一歩前に前進することから挑戦しましょう!
andkou projectでは特に30代から40代の未経験からフリーランスデザイナーを目指す人たちを応援しています。今後の記事では自分の作業を動画にしたり、Twitterで日々のつぶやきを行なったり少しでも後押しになる情報を発信していきます。